私がイラストレーターを志した理由
私がイラストレーターを志した理由
私がイラストレーターを志した理由ってなんだっけなーと最近思います。
もう遠い昔なので(といっても15年くらい前)、なかなかその時の熱意とかは忘れがちですが、ものすごく情熱があったのを覚えています。
大学生のとき
大学は美大ではなくて4年制大学の経済学部でした。
本当は美学部という、美術の歴史や成り立ちについて勉強する学部に入りたかったのですが合格できなかったので、経済学部に入学しました。でも経済学部は一番偏差値が高くて難しかったんです、皮肉にも!
そのころはどんな学問を勉強するのも興味があったし、経済学部にはいっても得意とする歴史や思想よりなところに自分の勉強の対象を持っていこうと思っていて、実際そうなりました。
ただ、マクロとかミクロの経済学は数学がかなり絡んでくるので単位をとるのに相当苦労しました。
その他によく覚えているのは、私の通う大学は一般に開かれていて、社会人や主婦の方たちも多く通い、そういう人たちって学生より熱心に一番前で講義を聴いているんです。その人達と一緒に勉強するのが新鮮だったことと、いくつかの熱意のある教授の授業をとるのがすごく楽しかったことです。
よく覚えている授業で、日本の企業体質について解説する講義がありました。今では古いと言われている年功序列や、仲間意識の高さ、新しいものを嫌う体質は戦後どのように企業として生き残るかの選択だったということです。今では忌み嫌われているような日本の古いシステムですが、どのように生まれたかを知ることができたのがよかったです。
ただ単にみんながいってるから悪いとかいいとか、そういう基準をまずは疑って、どんな風に意識や物事が作られていったのかを知ろうとしたりする癖ができるようになったのはこの講義を通してだと思うし、社会に出たり人生の難題にあたったときにとても役にたちました。
びっくりするのは、出席だけすればテストが悪くても単位を簡単にくれる授業とか、生徒の書いたノートを売るお店が大学の前にあったりとか、そういうのが存在することでした。大学という、正義中の正義を振りかざすような構内においても「?」なことや混沌とした組織が存在することが今まで経験したことがなく新鮮でした。
私は経済学部でしたが、仲良くなったのは文学系や美術系の友人たちでした。部活に選んだのは写真部で、なんとなく退廃した空気が漂う1990年代をよく表す人たちが集まり、夜な夜な芸術論や、自分が「アートだ!」と称する写真を現像室で焼いたりしていました。
何人かとは今でも交友があり、東京に住む友人は個展にも来てくれるし、全国に散らばった友達とはメッセンジャーで話したり、最近だとZoomでビデオトークしたりします。
小中高とではこんなに仲のいい友達ができなかったし、経済学部という、やや自分の本位でない学問の範囲でこんなに気の合う友達に出会えたのは、実は私は美術オンリーの人間でなくて経済や文学や他の学問にも興味があるからなのかな、と思います。逆に美術だけ勉強していたらこんなに幅広い友人関係を持つことができなかったと思うので、一見間違ったかのようにみえる学部選択も案外あってたんじゃないかと思います。いや、これ以外の選択はなかった。
ソフィーの世界を装丁した坂川栄治さん
4回生のときにゼミは「経済哲学」を選択したのですが、そこで最初に課題になった本が「ソフィーの世界」でした。
難解な哲学のわかりやすい入門書といったような本で、特にプラトンのイデア論の考え方には度肝を抜かれました。
この美しい本の装丁をしたのが坂川栄治さんで、後に売り込みにったりお仕事をしたり、それから坂川さんの運営されていたQOOギャラリーでお会いしたり、SNSでお話したりとそんなことが自分の人生におこるなんて全く考えていませんでした。
ただただ「きれいだな」と大学生のころ眺めていた本をつくったご本人に将来お会いすることになるなんてとても不思議です。
イラストレーター界隈では「フムフムおじさん」として親しまれていた坂川さんは昨年急逝され、とても悲しい思いをしました。
この経験を通して、「会いたい」とか「憧れている」とか思った人とは自分がしっかりと強く願い、正しい方法で努力していれば不可能でないと思うようになりました。まぁ、それが私にとって「営業」みたいな感じになってるのですが。
大学生のときに購入したMacintosh
大学生のときに成人式に着る振り袖のかわりに親にMacintoshを買ってもらいました。
フォトショップは当時買い切りでとても高価だったのですが、学生価格で購入したと思います。
そこでクラブイベントのDMのグラフィックをつくったり、4回生のころにはデザイン事務所の扉を叩いて、簡単なアシスタント業務のアルバイトをしました。
フォントや文字組みや、色の組み合わせで魅せるデザインの世界にだんだんとハマっていった頃です。
経済学部では大きな企業へほとんどの友達が就職する中で、私は印刷系や広告系、さらに自分でデザインができるようになりたいと思い、DTPや印刷の製版を行っている会社に入社しました。
なんか、ここまで書いていて、自分って本当に手でつくったりするのが好きだったんだなぁと改めて思います。
思い出したり、自分のこと書き出したりするのって大事ですね。
就職できたのはいいのですが、大学時代に体調を壊してしまい、そこからずっと何十年も病気と共に生きることになりました。
大好きな仕事に就けたはずなのに、体調が悪く、自分の実力を発揮できないでいました。結局5年務めてやめて、桑沢デザイン研究所の夜間部に通いました。
桑沢にいったのはデザインを学び直すためでしたが、いろいろあって絵を描くことを選びました。デザインはコンピューター上で行うことが多く、仕事でもイラストの原画が届くと一番どきどきしたので、絵の力が一番すごいと信じるようになったのです。
しかし、当たり前ですが絵で仕事なんて全然できません。絵もずっと下手くそだし、今でもものすごく下手だと思います。
すごくぐたぐたと長く書いてしまいましたが、イラストレーターを志した理由は、「世界で一番絵が感動する」と思ったからでした。
そこに行き着くまでにいろんな道を辿りましたが、そこから何十年経っても、絵を描くのはやめてないし、仕事もずっと定期的にやってるわけではありませんが、今でも毎日絵を描いたり、考えたり悩んだりしています。そしてそんな時間がものすごく楽しいです。
たまに旅行にいって、自分のアトリエから離れて絵がかけないでいたりして、家に帰ってくるとものすごく安らぎを感じます。
「明日からまた制作ができる。」
と思うとすごく幸せな気持ちになるのです。
アトリエといっても寝室と一緒なので、この場所に帰ってきて、紙と鉛筆があるだけでこんなに豊かな気持ちになれるなんて私って単純だなぁと思います。
まぁ、だから私がイラストレーターというか、絵を描く人生を選んだのはこんな理由でした。
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Kanako Okamoto
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