「父と娘の往復書簡」はじめました
「父と娘の往復書簡」はじめました
こんにちは、イラストレーターの岡本かな子です。
年始の「父の育児日記」がTwitterでバズったことと、絵本の制作などいろいろなことが重なり、てんやわんやでした。
あと、寒い。。
寒いのが苦手なので、本当にはやく暖かくなってほしいです。
そんな中でも、なんとなくはじめてしまったのが、父の文章に絵をつけることと当時29歳だった父に返事を書くことです。
父はもういないのに、29歳の父の書いた文章がとても生命力が溢れていて、はじめて育児に向かう姿が微笑ましくてついつい返信したくなるんですね。
なんでそんなことをするのか。
と聞かれると自分でもよくわかりません。。。
父が亡くなったのが急すぎて、未だに父の荷物を整理出来なくて、死んでしまったということを自分では認めたくないのかもしれません。
父の文章に絵をつけることで、返信することで、29歳だった父を思い浮かべたり、会話しているような気になったりして自分自身を癒したいのかもしれません。
とにかく理由はよくわかりませんが、そんな連載をInstagramで始めました。
ここで父の文章を通して、1970年代の日本も描ければと思います。
というのも、父の育児日記では私の成長の様子だけでなくて、ちょこちょこと日本の様子などがでてくるからです。高度成長期末期ではありますが、お祭りや政治など世間はとても活気づいている印象を受けました。
日本が元気だったように、父もエネルギーの塊を爆発させたような人生でした。
好きなことをして好きな人に囲まれて、興味のあることはなんでも挑戦すると同時にリサーチや研究も欠かさない人でした。
よく食べ、よく飲み、よく寝て、お家を掃除するのが大好きな父でした。
一時掃除道具にハマり、高圧洗浄機やその他さまざまな用具を買い集めて家中をきれいにしていました。
いつも家に帰るとピカピカなので、父には年末の大掃除という概念がないようでした。つまり、毎日が大掃除なのです。
だから、実家に帰るとピカピカのお風呂にふかふかの太陽の匂いのする布団、心地いい環境がいつも待っていました。
「帰ってくる場所」があるというのはいいなぁ、その場所が私にとっては父だったのだなぁと思います。
父を思い出すかのように、最近は掃除や整理整頓をしています。
あんまり得意ではないですが、父がしてくれたように子どもたちにも快適に過ごしてほしくて、父を思い出すかのように家中をきれいにしています。
けれども、父が上京してきたときに使う父専用の引き出し、父の衣類が入っている場所はまだまだ片付けれないままです。
なんだか、まだふと、帰ってきそうな気がするんですよね。
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Kanako Okamoto
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