子育ては旅のよう
もうすぐ息子の学期が終わり、長い夏休みに入るので日本に帰国します。
私はこれまでの人生で一度も海外に住んだことがなかったので、未だに6歳の息子とこの新しい日々のチャレンジをしているなんて信じられません。
毎日が新鮮で、トラブルにあうことも沢山ありますが、家族や周囲の人、現地の方に助けてもらいながら都度サバイブしています。
日本で慣れ親しんだ環境が全くない中で、生活していると六歳の息子の存在が日本にいたときより大きく感じられます。時にたくましく頼りになっているので、子どもというより、よき相棒という感じ。
また、このコロナ禍後やロシアとウクライナの戦争中ということもあり、私のコンドミニアムにはロシア系やヨーロッパ系の人々が多く住んでいます。
もしもこの情勢がなければ、大半は中華系でその次が韓国系だそうです。
6歳の息子は日常的にさまざまな国の人々とあたりまえに交流しています。私は英語が少ししか話せないので、ジェスチャーや携帯電話の翻訳機能など、あらゆる手段を駆使してママ友と会話しています。(最近英会話はChat GPTで勉強するようになった。)
10年前から変わらない育児
でも、よく考えると、10年前に娘を育てていたときも、子育てはまるでこのような日々新しくて挑戦のある旅のようでした。
私は東京で一人で、家の一室を民泊として貸し出しながら子育てをしていました。さまざまな旅行者が家を訪れる中で、同時に育児をしていたのです。
その頃は要領も悪く、地図も作っていなかったため、一人一人を駅まで迎えに行ったり、わざわざ朝ごはんを出したりしていました。(今では誰でも絶対に分かる写真付きの地図をあらかじめ送付し、テクノロジーを駆使してセルフチェックインにし、Too muchにならないように、ゲストが本当に望むことだけを提供するようにしている。)
でもそのような、非常に労力のかかる大変なことをひとつひとつ、小さな娘と話し合いながら楽しんでいました。そのときも私は娘を相棒のような頼りになる存在だとだと思っていました。
娘の最大の楽しみはゲストが自国から持ってきてくれるお土産でした。異国の絵本やお菓子、おもちゃをどれくらいもらっただろう。
どうしてこのような育児スタイルを私がしているかというと、私は一人っ子で、鍵っ子だったので、非常につまらない子供時代を過ごしました。冷たい晩ご飯をテレビに向かって食べるだけで、なんの予定もない夏休みはすごく退屈でした。今のスタイルはこの反動なのかもしれません。
物事がぐるぐる動き、人が絶えず行き来する中で子育てをすることに、いろいろな解決法を見出せた気がしました。
子供が大好き外国人
海外の人って本当に子供と接するのが大好きなんです。リビングにはホワイトボードを置いて、言葉が通じなくても記号や絵を使って対話できるようにしたら、いつまでも娘とそこで交流してるゲストもたくさんいました。
かといって、私はそんなに社交的ではないし、一日中家にいて家事をしたり家を整えたり、絵を描いたり、物語を考えるのが好きです。
「動」の中での「静」。ぐるぐる周りが動いているのを静観したり観察するのがとてもおもしろいです。
子育てに限らず、人生は動いていて、人は行き来しています。「動」の環境に身を置きながら、「静」に存在する。そんな風な生き方が自分には合っているし、子どもにもよい影響をもたらすと考えています。