全然ブログをかいていない
はるのや、という古民家宿を経営しています。
先日、宿泊してくださったゲストから、「ブログがおもしろかったです」と連絡をいただきました。
そのブログは、もう何年も更新が止まったままです。
そこでは改築前の建物のこと、工事のこと、建築家との打ち合わせ、許可申請、庭や家具や草木のこと。はるのやが宿になるまでのさまざまな出来事を、写真と文章で記録していました。
久しぶりに読み返してみると、自分で言うのもなんですが、とても美しい記事でした。写真も一枚一枚、ずいぶんこだわって撮っていました。
あの頃はコロナ禍で、世の中のいろいろなことが止まっていました。
だけどみんな、時間だけはたくさんありました。
今だったら、きっとそこまで時間をかけてもらえないような打ち合わせを何回もし、揉めたり、喜んだり、頓挫したり。そのような紆余曲折を私はいちいち楽しみました。
庭のこと、家具のこと、草木のこと。
いろいろなものにアンテナを張り、目の前で起きることを、いちいち新鮮な驚きをもって見つめていました。そして、それを写真と文章にしていたのだと思います。
今からみて、あの頃の私は随分苦しかったはずなのに、ブログの文章や写真は今よりも豊かで情緒に溢れている。お客さんにいわれて、読み返して、まるで他人のようなたった6年前の自分に再会したような気持ちです。
あれから、ずいぶんと時が流れました。
はるのやの経営は、とても順調です。
毎年泊まりに来てくださる常連のお客さまがいて、レビューも100件を超えました。もう、宿としてはすっかり軌道に乗っています。
その間にも、少しずつ手を入れてきました。
傷んだところを直したり、サウナを入れたり、今年は冷却装置を備えた水風呂もつくりました。
大きく姿を変えるのではなく、細かなところをアップデートしながら、今も丁寧に、丁寧に営業しています。
古い家というのは、本当に手を入れないとすぐに朽ちてしまうのです。
本当はもっとブログを書きたい。
書くことはたくさんあります。
けれど、なかなか気持ちがそちらへ向きませんでした。
はるのやにもいろいろな変化がありましたが、この数年間でもっと大きく変わったのは、私自身だったからです。
私の人生には、ここ数年、大きなことが立て続けに起こりました。
いつか、そのことを文章にしてみたいと思っていました。
書くには、少し気合いがいります。
今日は、そのことを少しだけ書いてみようと思います。
ここからは、私自身の心の病気や、幼い頃のことについて書きます。
私は大学生の頃、「不安神経症」と診断されました。
それから、パニックの症状やさまざまな不調を抱えながら、何十年も過ごしてきました。
なかでも、一番長く私を苦しめてきたのは、不眠でした。
私に会った人は、きっと「元気そうだね」「そんなふうには全然見えない」と言うと思います。
実際、私は根が明るいのだと思います。
人が好きで、好奇心が強くて、基本的には前向きです。
私だって、元気な自分のままで生きたかった。
でも、この病気の苦しいところは、自分の思いだけではどうにもならないことでした。
元気でいたいのに、身体が言うことをきかない。
特に夜になると、不安が押し寄せてきました。
昼間は元気なのに、どうして夜になるとこんなに苦しくなるのだろう。
静かな夜には、自分の内側にしまい込んでいたものが、聞こえやすくなるのかもしれません。
過去に抱えた痛みや恐怖が、昼間よりも大きな声で現れてくることがある。
不安が最高潮に達した時、昔から見えていたイメージは未来の幸せな自分が抱きしめてくれている、という感覚でした。その時、どうして自分なのか、未来で私はどうして幸せになれるのか、全くわからなかったはずなのに、確信を持ってそれは自分だと知っていた。大丈夫、大丈夫。
長い間、私にはこれといったトラウマも、はっきりした原因も見つかりませんでした。
それが、症状が長引いた理由のひとつでもあったのだと思います。
しかし、答えはとても身近なところにありました。
私は10年以上前から、高橋先生の著作のカバーに絵を描かせていただいています。
それ以来、毎年のように先生の本に絵を描いてきました。
先生は、長年カウンセリングに携わっている方です。
今思えば、最初から先生のところへ行けばよかったのかもしれません。
けれど、なかなかその機会を得ることができませんでした。
今年になって、どうにもつらい日が続きました。
そのとき、ふと先生のことを思い出し、カウンセリングを申し込もうと思いました。
もちろん、先生はとてもお忙しく、すぐに予約を取ることはできませんでした。
そこで、まずは先生のお弟子さんに予約を入れました。
ただ、私が送ったメールの最後に自分のウェブサイトを載せていたため、長年、先生の本に絵を描いている本人だと気づかれてしまいました。
そして、「ぜひ高橋先生のカウンセリングを受けてください」と勧めていただきました。
長く待ったあと、念願が叶いました。
先生のカウンセリングは、私にとって衝撃的なものでした。
最初は、先生の言葉をうまく受け止めることができませんでした。
しばらくは葛藤が続きました。
どうしてそんなことを言うのだろう、と腹が立ったこともありました。
でも、その後、少しずつ感謝の気持ちに変わっていきました。
長年苦しんできた症状が、なぜ起きたのか。
私の中で、点と点がつながり、少しずつ筋道が見えるようになってきたからです。
先生の本は、(イラストを描くので)これまで隅から隅まで読んできたつもりでした。
それなのに、自分自身のことは、まったく見えていませんでした。
Netflixで観た『セイレーンの誘惑』という作品が好きなのですが、その中に、適切なカウンセリングを受けることで、PTSDから回復していけるという趣旨の台詞がありました。
今の私には、その言葉がとてもよくわかります。
私が抱えていたものは、とても見えにくいものでした。
先生からははっきり見えているのに、私自身には見えていませんでした。
それは、生まれたときから続いていたからです。
それが普通の生活であり、普通の家庭であり、普通の人生なのだと思っていました。
だから、何がつらいのかも、何がストレスなのかも、自分ではわかりませんでした。
けれど、当時の保育園の連絡帳や育児日記などを、あらためて細かく読んでいくと、それまで見えていなかった幼い頃の自分の苦しさが、少しずつ見えるようになりました。
それは、大きな出来事が一度起きたというものではありませんでした。
毎日、毎日、真綿で少しずつ締めつけられるような、じんわりとした痛みが続いていたのだと思います。
一日だけなら、乗り越えられたかもしれません。
でも、それが生まれたときから毎日続いていた。
そのことに気づいたとき、幼い頃の自分が、かわいそうでなりませんでした。
過去苦しめられた自分を一瞬一瞬思い出し、私は抱きしめる作業を今しています。辛すぎて忘れたいということはない。むしろ思い出して、隣にいるかのように呼吸を感じる距離で、ちゃんと現実に起こったことだという痛みをありありと思い出したい。
過去に思い続けた「未来の自分に抱きしめられる」というイメージは完全にあっていました。あの時の空想はリアルに今の私だった。私を癒すのは私自身。30年かけて難しいパズルのピースを埋めるように答え合わせが今やっとできました。
長い間、自分の人生を生きて来ませんでした。
誰かが望む自分になろうとして、誰かの気持ちを先に考えて、自分がどうしたいのかを置き去りにしてきました。
高橋先生とのカウンセリングを通して、私は少しずつ、自分自身を取り戻しています。
だから私は今、一番楽しくて、幸せなのだと思います。
今の私は、生きることが楽しくて、忙しい。
ブログを書かなくなったのも、言葉がなくなったからではありません。
むしろ、毎日が発見の連続で、それを生きることに夢中だからなのかもしれません。
毎日の発見を、私は夫に話します。
夫はいつも真剣に聞いてくれます。
一緒に喜び、悲しみ、ときには怒ってくれます。
私の発見について分析し、これからの未来についても一緒に考えてくれます。
ここまで話を聞いてくれる人と一緒で、本当によかったと思います。
そうでなければ、この過程を一人でたどるのは、あまりにもつらかったと思います。
先生は以前、一人暮らしでこの苦しさを乗り越えた人と、家族がいる中で乗り越えた人とで、分けてミーティングをしていたそうです。
一人でこれを乗り越えることを想像すると、その大変さは、私には計り知れません。
私は、話を聞いてくれる夫がいる。
天真爛漫な子どもがいる。
今、私のそばにいてくれる人たちの存在を、以前よりもずっと深く、ありがたいと思うようになりました。
今日は、ここまでにします。
続きを書くかどうかは、まだわかりません。
でも、少し書くことができてよかった。
この文章は、吉本ばななさんの話題になったnoteにインスパイアされて書きました。
おやすみなさい。
