Twitterでバズった父の育児日記の話
Twitterでバズった父の育児日記の話
12月に急逝した父のことを思い、父のつけていた育児日記(私を育てた日記)を年始からぼんやりと眺めていました。
そんな気持ちをTwitterに投稿すると、10万いいね!がつくほどバズってしまいました。
コメントやリツイートがたくさん、いいねのお知らせも鳴り止まないままに携帯のバッテリーがどうにかなってしまいそうだったので全ての通知をオフにしても、各所から取材のお願いなどが来たりして、この人生でもはじめての事態にかなり動揺していました。
このような皆様のコメントがとてもうれしく、たくさんの共感をいただいたことが感激で、年始から「世界はあったかいなぁ。」と感じたありがたい出来事でした。
また、父の文体や文章が素晴らしいなど、父の日記そのものを褒めてくださるコメントも多く寄せられ、読書家であった父もきっと喜んでいるだろうなと思いました。
父の育児日記が人気者になったのでツイートのツリーに日記のページを貼ってみました。
こちらは、育児日記の1ページ目、私の産まれた日のノートです。
Twitterには、お母さんが陣痛をはやめるために夜中に縄跳びをしたことや、親友の「西田」さんの言葉について書きました。
手書きの育児日記っていいですね。
そしてこれが、男親である父のものというのがまたいい。
母親は母子手帳の記入や、ミルクをどれだけ飲ませたか、など記帳する機会がたくさんありますが、父親はその体の機能によって、よほどの筆まめか日記をつける習慣があったかではないとこんなことはしないと思います。しかも、これが1970年代という時代なのが驚きです。
私の父はそのまれな体質からこんな宝物を私に残してくれました。
肉筆からは、データでは感じることのできないそのときの感情の動き、黄ばんだ紙の沁みからは、これはその時のブランデーの跡かな、などいろんなことを想起させられます。
父はもうこの世にいないのですが、紙の日記を触りながら読んでいると、時代をさかのぼって30歳になったばかりの父に再会したような気持ちになります。若い父は娘の誕生という人生の一大事をどんな風に受け止めていたのだろう、どんな風に喜んだのか。
父はものすごく人間が好きな人であったし、まっとうな人でした。
嬉しいことは嬉しいといい、悲しいことは素直に悲しいというわかりやすい人だった。
そして、正しいこと、健康であること、食べ物が美味しいこと、家がきれいであること、当たり前に生きていて「心地いいこと」を追求する人でした。
どうしてこんなことをいうかというと、大人になって、私が出会った多種多様な人は大概にしてこういった「当たり前のこと」を感じたり実行したりする人ではありませんでした。変わった人や才能のある人ほど偏りや偏見があり、そんな人達と遊びや仕事などで関わっていると、時には自分の価値観がゆらいで不安になることが多々ありました。
そんなとき、父が私に教えてくれた、当たり前で心地よく、健康で文化的な生活を基準とした価値判断というのは私にとって心の拠り所とするような安心な場所でした。
何か不安なことがあれば、父のことを思い出せばいい、いつのころからか私は父の存在をそんな風に思っていたような気がします。
子供が産まれて感極まる気持ち、祝杯を一人であげたこと、赤ちゃんが高熱をだして不安になったり、最初に我が子が歩いたときの感動。
そんな素直な気持ちを書き綴って、形として私に残してくれたことはこの上ない宝物です。心の拠り所となる確かな軌跡がここにあることに感謝の気持ちでいっぱいになります。
と同時に、私も自分の子供に私は子どもたちの安心な場所になれるのだろうか、という無言のプレッシャーも感じてしまいます。
「特別なことはせずに、人間として当たり前のことをやっていればいい。」
こんな言葉が父の日記を開くたびに聞こえてきます。
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