桐島洋子さんのこと
桐島洋子さんのこと
尊敬する女性の中に作家の桐島洋子さんがいます。
桐島洋子さんのことを知ったのは、女優の桐島かれんさんのお母さんだからで、当時私は六本木にあったかれんさんの小さなインテリア雑貨屋さんのファンでした。
今では大きくHouse of loatus というお店であちこち事業展開されていますが、当時は地下にある小さくて素敵なお店一軒のみでした。
かれんさんが直接海外で買い付けて来る雑貨たちはどれも個性的で、手に取るといろんなストーリーが沸いてくるような素朴なものばかりで、私は六本木の近くに来たらこのお店に行くのが大好きでした。
かれんさんのInstagramでお母さんのことを知り、女手一人で三人の子供を育てたシングルマザーだと知りました。
私もその時はシングルマザーとして日々格闘していたので、世界中を旅しながら活動されている桐島洋子さんの本を教科書のように読んで励みにしていました。
本ばかりでなく、洋子さんの三人のお子さん、かれん、ノエル、ローランドさんたちのsnsや著作からの言葉で今私は公式ウィキペディアよりも洋子さんのことに関して詳しいと思います、笑。
ですので今回は桐島洋子さんのことについて書きたいと思います。
生い立ち
洋子さんは1937年に東京で生まれます。いろいろなところに住んだようですが、ご実家は神奈川県の葉山にあったようで、洋子さんの文章にはよく葉山の美しい景色がでてきます。
長女のかれんさんを妊娠して海辺の小屋で外国人の旦那さんと出産&育てた話はとても神話的で素敵なエピソードです。
お祖父さんは三菱の重役でお父さんも三菱に勤務されてたようですが、画家志望で大変教養のある文化人だったようです。洋子さんの骨董や美術品集めはお父さんから受け継いだものなのでしょうか。
お祖父さんが厳しかったせいなのか、その反動で代替りして財産を受け継いだお父さんは相当散財したと手記にあります。一家は戦争前に上海に移り住むのですが、そこで幼い洋子さんはとても豪華な暮らしをしたそうです。ホテル暮らしをしたり、豪華なお洋服を着て劇場にでかけたり。当時の上海はとてもインターナショナルな場所だったようでそのような雰囲気も後の洋子さんの性格を作り上げたのかもしれません。
洋子さんが若くてお金がなくても一生懸命働いて一流ホテルに泊まったり、豪華な食事をするのはこのときの経験でしょうか。その様子を文章で伝えるのがとても上手なのでこちらまで経験したような気持ちになります。
戦争が終わり、一家は東京に帰ってきますが、お父さんが病に倒れたあと一家を支えたのはお母さんだったそうです。お母さんと相性の悪かったお祖母さんはとても居心地が悪く、悲しい結末を迎えます。
文芸誌春秋に入社、妊娠と子育て
成人した洋子さんは当時めずらしかった女性編集部員として文藝春秋に務めます。
最初は雑用でしたが、読者さんからのお便りに返信するのがとても上手だったようで、その係として下積みをし、やがて編集者になります。
ある日仕事に疲れた洋子さんは、自分へのご褒美として葉山の自宅までの帰路を普段は使わない特等列車に奮発して乗りこみます。そこで出会ったのが後の三人の子供となる元軍人でダイバーのダグさんでした。
泳ぐのがとても上手な洋子さんですが、この「泳ぐのが上手い」というのが恋に落ちた重要なポイントのようです。二人で世界各地いろいろな海を訪れて潜ったそうです。
彼は当時他の女性と婚姻関係にありましたが、洋子さんと恋に落ち、長女のかれんさんを身ごもります。
文藝春秋では妊娠した女性が働くのを認めていなかったために、洋子さんはわざと大きめの洋服をきて妊娠していることを隠してギリギリまで通勤しました。いざ出産の時期が近づくと、仮病を使って会社を長期間休んだそうです。
そしてはじめに述べた海辺の小屋でかれんさんを出産します。素敵ですね!
かれんさんを出産した後も文藝春秋で働き続けるのですが、そのとき当時はよくあったらしい赤ちゃんを預かって育ててくれる乳母さんのような方に預け、仕事を終えると会いにいっていたそうです。このシッターさんのような方はそれ以降もずっと育児を手伝ってもらって、後に一家がアメリカに行くときもついてきてもらった家族のような存在だったようです。後に洋子さんはこの方なしでは子どもたちは育てられなかったと話しています。
船の上での二人目の出産
やがて洋子さんは二人目の子供を身ごもります。このときも文藝春秋には秘密で産むつもりでしたが叶わず、出産費用が無料になる船の上での出産を決意し、世界一周の船旅にでます。
まじか!
えー、まじか!
発想が凄すぎてついていけません。
出産がタダになるから船旅にでるというのがまず驚きだし、妊婦なのに一人で世界一周の船旅?もう想像の域を超えています。
私なんて二人目を妊娠したときは怖すぎて、しんどすぎて、近くのスーパーに行くのが精一杯でした。それが一人で、船旅で、しかも外国とか、、すごすぎる!
ちなみに五ヶ月以上かかったこの船旅、船医さんはずっと赤ちゃんが船の上では産まれないでほしいと祈っていたそうです(なにかあったら船医さんの責任になってしまいますからね。)。しかし後半の中国を過ぎたあたりで無事に出産します。クリスマスのことだったようで、名前は「ノエル」とつけました。
当たり前ですが出国したときにいなかった人間が日本に入国してくるとのことで、当時の入国管理局は大騒ぎになったそうです。
ベトナムでの従軍記者と3人目の子供の妊娠
二人目を産んでしばらくしてからダグさんが船長の仕事を得ます。ダグさんは元海軍です。洋子さんはこの船に一緒に乗って行き、ベトナムまで行きました。そこで戦争を取材する従軍記者となります。
男ばかりの戦地の中に女性が一人で乗り込むっていったいどういうこと。。。洋子さんを戦地まで運ぶアメリカ人のパイロットは相当びっくりしたようですが、
「Take your risk.」
リスクは自分で責任を持って、といって運んでくれたそうです。
ベトナムから日本に着く帰路で、洋子さんは3人目を妊娠したことを知ります。
しかしこの時すでにダグさんとの関係は終わったと感じたのでとても戸惑ったようです。
アメリカイーストハンプトンでの生活
結局ダグさんとの関係は終わり、洋子さんはシングルマザーとして三人の子供を育てます。必死に働きながら、何冊かの本を出版し、その中でも「聡明な女は料理がうまい」という本がヒットします。雑誌のクロワッサン症候群の引き金となった有名な著作です。
この印税で忙しく子供と向き合えなかった時間を埋めるために洋子さんは家族でアメリカにしばらく移住することを決意します。
この時の経緯や手続き、最初をNYに渡ってからお金持ちから別荘を借りることになったなどいちいち書かれているのがおもしろいです。
三人の子供(洋子さんによれば子豚たち)とのアメリカの田舎での豊かな暮らしぶりは「マザー・グースと三匹の子豚たち」に書かれています。
当時1ドルが300以上した時代に、シングルマザーがアメリカに子供を三人連れていくなんて想像の域を超えていますがこのエピソードは同じくシングルマザーだった私をいつも奮い立たせてくれました。
「子供には豊かな経験をさせたい。」この思いが洋子さんとは規模が違いますがいつも私を勇気づけてくれました。
洋子さんの生き方に興味を持った方はぜひ著作を読んでみてくださいね。
ちなみに洋子さんの数ある著作の中で三人の子供にあてたかのような本はこちらです。
冒頭のかれんさんを生んだときの描写が素敵すぎて涙します。
非公開: The sea in Okinawa
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非公開: 泳いで家に帰りたいzine2冊セット / All I want is to swim and go home Zine
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Kanako Okamoto
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