父のこと、絵本制作のこと
父のこと、絵本制作のこと
先週父が急逝したので、とても慌ただしく悲しい日々を過ごしておりました。
癌を患っていた父ですが三週間前まで家族で温泉にいったり、孫を動物園につれていってくれたりと元気に過ごしていましたのでまさかこんなことが急におこるなんて予想だにしていませんでした。
人が死ぬと忙しいと聞いていましたが、一息つくまもなくお葬式の用意や来客の準備、お料理やお持たせのお菓子などやること決めることが盛りだくさんでした。
ほとんど喪主である母と叔父が取り仕切ってくれたのですが、傍らでみていても目が回る忙しさでした。
父は誰よりも私の仕事を楽しみにしていてくれて、来年刊行を予定しているはじめての絵本も一番に見てもらいたかったのですが叶いませんでした。
いや、一番にみていてくれるんだという気持ちでよりいっそう心を込めてつくろうと思います。
絵本制作のこと
この絵本は去年の私のギャラリーハウスマヤでの個展をみてくださったデザイナーさんと編集さんから御連絡いただいて制作を開始しました。
最初は自由につくっていたのですが、昨今の災害や地震などから絵柄がネガティブな印象をうけるとのことで、そちらを回避するためにいろいろと改編しながら作り上げています。
本当は、日本の暑い夏、長い通学路、重いランドセルを全部スキップして冷たい水のなかを泳いで帰りたい!という女の子のある日の妄想を普段目にするありふれた風景の中で描きたかったのです。
長い坂道や、なんでもない空き地の前、住宅街や公衆電話ボックスなど。それら全てが水の世界になり、巨大なプールの遊び場になる。本当はそんな光景を絵本に盛り込みかった。
しかしその辺が災害を想起させない、というのが今回の腕の見せどころでもあります。
私の子供のころ通っていた小学校は果しなく遠かった、、。
そして夏休みのはじまる前の日は地獄でした。
暑さに加えて、背丈以上に伸びたあさがおと重いランドセル。これらをもって遠い帰路を歩くのはまるで悪夢でした。
「ああ、泳いで家に帰りたい!」
今でも耐え難い暑い夏の日にランドセルの小学生をみるとこの頃のことを思い出します。
それと、いつでも優しく迎えてくれる父と。
父がもうこの世にいないのはとても寂しいですが、絵本ができるのをとても楽しみにしてくれていたのでがんばって仕上げます。
追記
祖母の死も、祖父の死も経験しましたが、父の死、というのは経験したことのないような大きなショックでした。
何週間も経ってから大きな悲しみが襲ってきてふとした瞬間に激しい嗚咽をともなって泣くこともあります。ああ、私はいま悲しいんだなぁ、と泣きながら後を追うように感覚を認識する、こんな経験は人生で初めてです。
急逝した父の持ち物は大量でした。荷物を整理していくと私の成長記録や日記や絵や、父の小さなころの写真などいろいろなものがでてきます。
それら全てが一人っ子である私しかこの世に大切に思ったり残したりすることはもうないんだ、と思うととても愛おしく、大切に思えてきます。
本やレコード、CD、オーディオ機器、様々なものがあるのでどこから手をつけていいかわからないけれど少しずつ、物と向き合いながら整理していこうと思います。
一番悲しくて片付けられないのが、私の自宅の方にある「父が泊まりにきたときに使う専用の引き出し」です。もう父がここに来ることはないのに、なぜか来るような気がして片付けられません。
特に京都の中心地で育った父の小さなころの背景は、「オールウェイズ三丁目の夕日」やその頃の映画のセットのような背景でとても興味深いです。
高度成長期、バブル、バブルの崩壊、ITの加速、父は様々な時代の波にのってその中で脱サラし、起業し成功した人でした。
仕事だけでなく、カントリーミュージックのドラマーとして月に何度もライブをし、音楽と仲間とお酒をこよなく愛し、人生を楽しんだ人でした。
ポジティブで強く、ひょうきんで真面目。ITにもよくついていって、パソコンやその他の機器を使いこなしていました。
老人、というとゆっくりとずっと家にいる、というイメージでした。いつかは私も父や母と同居し、話す機会も向き合う時間も多くもって最後を迎えるのかと思っていました。
親孝行はできるうちに、といいますがそのようなこを考える時間もまったくなかったのが心のこりです。
今はただ、父との宝物のような思い出を胸に毎日を生きていこうと思います。
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